リアル待ちガイルを使わないという「制約」

待ちガイルってご存知ですか?
有名なのでご存知かもしれませんが、
昔、とある格闘ゲームで流行った戦術になります

その戦術とは、自分から積極的に攻めることをせず、
ひたすら待ち続けて相手の出鼻をくじくことで勝つものです

これは対戦していて非常に不愉快だったようですが、
理に適った極めて強力な戦術でした
それゆえ、この戦術はプレイヤー間で「封印」されることもあったようです

今回は、「この封印の源泉はつまるところ何なのか」と、
「この封印が制約である」という点についてお話していきます

なお、今回の待ちガイルについて、私は当時ゲーセンでやっていなかったので
そのあたりの解釈は憶測によるものを多分に含みます
ですが、本記事の結論にさしたる影響はないと考えますのでご了承をば

 

待ちガイルは何故封印されたか

強いけど不愉快、単純にそういうことです
で片付けると何も発展しませんので、深堀りしていきましょう

 

不愉快である

不愉快である、というのは主観的なモノではありますが
当時のコミュニティでの共通認識であったと仮定し、
戦術のどこが不愉快なのか、は今回は触れません

そうであるとして、何故不愉快だとダメなのでしょうか?
思うに、2つの理由があります

  • 相手から嫌われたくない
  • 自分が対戦したくない

一点目の「相手から嫌われたくない」は、自己防衛的な要素を含みます
自分が傷つくのを避けるため、相手にとって害になりうる行動を避けるのです
やられたくないからやらない、ということですね

二点目の「対戦したくない」は、法律的な観点と言えるかもしれません
要は、楽しい対戦を維持するためには「ルール」が必要であるという観点です
やられたくないからやらない、を広範に適用しているともいえます

 

強い

本当に結果として強かったのか?は僕には評価できないので、
ここでは「勝ちやすい選択であった」ことを前提とします

この戦術が「弱い」のであれば、封印されることはありません
「強かった」から封印されたのです
そんなの当たり前ですよね?

では、逆に考えてみましょう
「弱い」けど「不愉快」は成立するのでしょうか?

これは「理論上」成立します
ですが、勝利を目的に据えるのであれば最終的には使われなくなり、
自然と淘汰されるか母数が少なくなり、制限の対象とはならないはずです

 

不愉快と価値観

待ちガイルは強くて不愉快だからダメなんです
それはある程度伝わった事かなと思っています
ですが、この「不愉快」ってとても抽象的ではないですか?

本気で勝つことを唯一の価値とするのであれば、
徹底した待ちガイルは逆に美しいはずです

たまたま当時の人の多くが対戦の「楽しさ」を重視したから、
待ちガイルは「不愉快」で「制限対象だった」のです

価値観一つでどうすべきかが変わる、その程度のものなのです

 

待ちガイルを少しだけ抽象化する

ここからが本題です
待ちガイルという戦術について少し深堀りしたところで、
今度はこの戦術を少し抽象化します

「不愉快である」は、先程の論を借りるのであれば
多くの人たちが価値観としてどう考えるか……つまり「倫理的にグレー」
「強い」は「容易に目的を達成できる」としましょう
そして、それは「自発的なルール」として制限されます

であるなら、待ちガイルとはつまり

「倫理的にグレー」であるが「容易に目的を達成できる方法」で、
それを使用するか否かは「自発的に制限」される

こと、ということになります

 

リアル待ちガイル

先程抽象化した「待ちガイル」について、人間社会に当てはめます
そうすると、人間社会には多くの待ちガイルが浮かび上がります
適当に思いついたものを列挙していきますね

 

法律的にNG(刑事レベル)

  • ブラック企業
  • 経歴詐称
  • インサイダー取引

法律的にグレー(民事レベル)

  • 炎上商法
  • パクツイ
  • 迷惑系youtuber
  • 転売
  • 情報商材

倫理的にグレー(社会レベル)

  • 突撃取材
  • youtubeの切り抜き ※最近は微妙なライン
  • アダルトコンテンツ

倫理的にグレー(個人/コミュニティレベル)

  • 炎上してる職場から逃げる
  • 生活保護
  • 格ゲーの待ちガイル

 

いろいろありますね
上に行くほど「法律的」にダメなものを、
下に行くほど「倫理的」にダメになっていますが、
もはや一番下は「個人主観」でしか無いかもしれませんね

流石にルール上問題があるものは、「社会レベルで」トータルな不利益があるとし、
法律的に制限がなされています

ですが、そうでなければ倫理的に自粛しろ、というレベル感でしかありません
つまり、リアル待ちガイルって実のところほぼほぼ制限されていないのです

 

リアル待ちガイルを使わないという「制約」

僕が思うに、現代において大きな成功を収めている人は、
多かれ少なかれ、待ちガイルを活用しています
倫理的にどのレベルなのかはおいといて、です

相手が待ちガイルを使ってない中、待ちガイルを使ったら最強ですよね?

今まで、「待ちガイル」が表に出てくることはあまりありませんでした
ですが、情報化と例のウイルスにより、
「待ちガイル」を取り巻く価値観が「美徳」方向に変化していると強く感じます

そんな中、リアル待ちガイルを使わないという「制約」はあまりにも重すぎます
今までは皆自粛していたけれども、今は待ちガイルだらけなのです
制約をかけている人は、その「重さ」を自覚しなければなりません

 

おわりに

僕はまだ待ちガイルを認めきれずにいます
僕が認められるのは「倫理的にグレー(個人/コミュニティレベル)」までです
それでも、一切認めない人と比べれば大幅な有利を得ている自覚があります

待ちガイルを使わないという「制約」の重さを理解した上で、
自分の倫理的なプライドと相談し、どのレベルまで認めるか。

この「判断」が、人生を楽にする秘訣のように思えてなりません。

 

※本記事は続き物になっております

第一回: リアル待ちガイルを使わないという「制約」(本記事)
第二回: リアル待ちガイルを使えないという「制約」
第三回: リアル待ちガイルは「倫理的グレー」なのか?

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