「財力」が評価されてしまう理由

読者層がどれくらいの年代かは分かりませんが、
今回はお金と人間の評価の話です

社会人の読者なら想像に難くないと思いますが、
社会人になると、何故か職種や年収が評価対象として大きくなってしまいますよね
昔は人そのものをいろんな角度で評価していたはずなのに、です

今回は「財力」が何故評価軸になるのかと、いかに「虚構」であるかのお話になります

 

社会人以前の評価基準

社会人以前のものを適当に挙げてみます
そこから法則化し、それをもって論じてゆくこととします

  • 足が速い
  • 優しい
  • スポーツで成果を出している
  • 話が面白い
  • 歌が上手い
  • 勉強ができる

とまあ適当に挙げてみました

これは、年齢によって変わってゆく「モテる人」的な評価要素にも通ずることですが、
その「年代」において「最も有用な事柄」が軸になっているのかもしれません

ただ、私が思うにこの「評価」というのは二種類に大別できます
「同性」としての評価と、「異性」としての評価です
お話を広げるためにも、ここから少し攻めてみましょう

 

「同性」と「異性」の評価

同性による評価は、「なんかすごい」ことだと思います
異性による評価は、「実利がある」ことだと思います

「なんかすごい」は、真面目に定義するならば
「自分と同じ価値観上で、優れていると思えること」です

「実利がある」は、真面目に……というか角が立たないようにするならば
「付き合うことによって精神的/物理的な効用がある」と言えましょう

ただまあ本当に突き詰めるとどちらも「実利がある」に他ならないとは思いますが
それで片付けると終わってしまうので今回は無理にでも分類します

 

「同性」と「異性」の評価の差異

ここで実例を交えてざっくり判断していきましょう

例えば、めちゃくちゃゲームが上手い人がいたとします
その場合、恐らく同性の方に人気を博すでしょう

例えば、めちゃくちゃ話が上手い人がいたとします
その場合、どちらにも人気を博すでしょう

この差異ってなんだと思いますか?
それは、同一の価値観を持っている性別の割合だと考えます
それも当然、評価というのは「価値観」という物差しを必要とするからです

であるならば、「精神的/物理的な効用がある」という異性評価も、
「それを価値観とする評価」ということになるのです
あえて大別してから話を進めましたが、結局は同じところに回帰します

 

見えてくる「評価」の本質

先程も述べたように、評価とは「価値観」を物差しとします
ざっくり断言してしまうなら、「価値観」こそが「評価」であり「物差し」なのです

だからこそ、性差で評価するポイントは変わるだろうし、
年代によって評価するポイントが異なるのです
結局、性差の根源は「同じ物差しを持っている集団の単位」でしかありません

ですが、もしその物差しが「所属コミュニティ」、この場合は「性別」を跨ぐ時、
それは広く適用できる優秀な物差しとなるはずです

 

ここで最初の質問に戻りましょう
なぜ社会人になると「財力」が評価されてしまうのでしょうか?
……いや、なぜ「財力が物差し」になってしまうのでしょうか?

 

価値観の分散

社会人が最も時間を費やしているコンテンツってなんでしょうか?
そう、もちろん仕事ですね

物差し……もとい価値観は経験や環境をベースに形成されます
であるならば、「仕事」が価値観の中心になるのはごく自然でしょう

ですが、「仕事」というコンテンツは所属コミュニティを跨ぐことが出来ません
仕事の話を社外の人とする、なんて不可能に近くないですか?

それは当然なんですよね
企業というのは、他社と異なるアプローチで利益を生む単位だからです
アプローチが一致することなんて普通にあり得ないのです

きっと、社会人になるまでは価値観を共有できる人たちは多かったはずです
所属コミュニティを跨ぐことのできるコンテンツに多く触れていたからです
ですが、社会人のメインコンテンツはそれを許さないのです

 

価値観の集合

仕事という狭いコミュニティで形成された価値観は、
社会的な単位で見れば大きく分散してしまっています

その分散した価値観の中で、共通のものが一つだけあります
そう、財力です

社会人が他の集団と繋がるには、もはやこれしか残されていないのです
自分の物差しのコレクションの大半が、コミュニティを跨げなくなっているのです

 

財力”のみ”による評価は虚構である

人の構成要素は無限にあります
世界にある全ての物差しを使って評価するのであれば、
完全上位互換のような存在は一人も存在しないはずです

であるなら、物差しの数が多いほど評価には信用が伴うと思いませんか?

とすると、使える物差しとして残ったからという理由で
「財力」を用いて評価したところで、意味はあるのでしょうか?

結局のところ、財力は物差しの“”一つ””であるべきなのです
それしかない状態に陥ってしまうのが問題なのです

 

おわりに

ここらへんでお開きにするためにも、教訓めいたものを書きます
きっと「物差しを探す努力」をすべきなのです
更に言うと、「分かり合えない価値観の存在を知る」努力をすべきなのです

これは人物評価に限った話ではないと思います
適用できる物差しの数が増えるほど、人生に深みが出てくるはずです

貴方も今日から定規コレクターになってみませんか?

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