リアル待ちガイルを使えないという「制約」

前回の話の続きになります
一応読まなくても要点は引用してありますのでご自由にどうぞ

前回は「使わない」と表現しましたが、
今回は「使えない」と評して話を進めていきます

なぜ「使わない」ではなく「使えない」なのでしょうか?

 

前回の要点

待ちガイルとは、

「倫理的にグレー」であるが「容易に目的を達成できる方法」で、
それを使用するか否かは「自発的に制限」される

ような行動であり、それは

待ちガイルを使わないという「制約」の重さを理解した上で、
自分の倫理的なプライドと相談し、どのレベルまで認めるか。

という風に消化するのが良いのではないか、と提言しました

ただ、少し時間が経った今、これは恐らく「違う」のではないかと思い始めました
僕が大好きな「合理的不合理」の一種ではないか、と。

 

待ちガイルを「使わない」

「使わない」という表現は、意思が介在しています
要は、使えるんだけどあえて使わない、という意味です
「何らかの理由があり、そういう判断に至った」と換言することも出来ます

ここで重要なのは、それが「意思」なのかどうかです

 

何故使わないのか

結局のところ、前回のお話は「手段を選ぶな」と言い切れるかもしれません
自分の中でこれは「ズル」と評して、その一線を越えないよう自制しているのです
自分の倫理的なプライドとのトレードオフ、と引用でも表現しましたね

ここまで書いて、こう感じたかもしれません
その「自制」は「意思」に違いないと。
自分は意思を持って使わないように選択しているのだと。

きっとそうなのだと、僕も最近まで思っていました
でも、きっとそうではないのです

 

待ちガイルを「使えない」

目的の達成のために、待ちガイルは使わないといけない。
そう思えるくらい、この世界は待ちガイルに溢れてしまっています
であるなら、待ちガイルを「使わない」という選択肢はないはずです

でも、プライドがそれを許さないのです
これはつまり待ちガイルを「使えない」のです
自己矛盾、と言えるかもしれませんね

実のところ、「意思」で「自制」しているのではありません
本当は、「意思」で「決断」できていないだけなのです

前向きな姿勢で自制していると思い込みたいのです
後向きな姿勢を誤魔化すために「使わない」と解釈するのです
そうすれば「意思の弱さ」を「意思の強さ」にすり替えることが出来るからです

この自己評価はとても「合理的に不合理」だと思いませんか?

 

おわりに

とまあいろいろ書いてきましたが、結局のところ
意思の弱さを意思の強さに粉飾しているというのが真実のように思います

 

直感で待ちガイルを使える人が真に賢く、
直感で待ちガイルを使わない人が次に賢く、
いろいろ考えた末に待ちガイルを使う人は最も愚かなのです

 

僕は、こういう「思考の堂々巡り」に多々遭遇します
思考をした結果、思考をしない結果が正解になることが多いのです

いくら理知的に取り繕ったところで、
人間の本質的な都合の良さには勝てないのかもしれませんね

きっと思考をすること自体が愚かなのです

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