人生は宗教である
人生が二度あれば、と歌ったのは井上陽水ですが
人生は宗教である、とほざくのは誰でしょう?
今回は人生と宗教についてのお話です
ちなみに僕は無神教であり、宗教学についてはド素人であるということ、
特定の宗教や信徒を貶めたり、宗教そのものを否定する意図は無いことを
重々承知の上お読みくださいませ
また、無神教よろしく「神はいない」ことを前提にお話を進めます
なので、「神はいる」のであれば、これはただの文字列に成り下がります
人生とは何か
人生ってなんだと思いますか?
最初っから最速でオカルトをぶち込んで申し訳ないのですが
僕の感覚で言うと「壮大な自己満足」に帰結すると考えます
生物学的に見れば「種の繁栄」みたいなロマンティックな感じなんでしょうが
そうであれば、だれもかれもが自分の人生に満足していることでしょう
普遍的な答えがないからこそ、逆説的に「主観」が全てと言えるかもしれません
心理学から考える目的
よくあるマズローの欲求説ですが
物質的欲求が多く満たされるようになった今の時代において、
精神的欲求が重要視されてくると思います
その精神的欲求をざっくり大別してしまうと、
- 自らの居場所を確立すること(所属/承認)
- 自己満足(自己実現)
となると考えています
これは若い世代であればあるほどあるあるだと思います
人生の「目的」という言葉を「欲求の充足」と解釈するのであれば、
この二つの事柄が「目的」であり「人生そのもの」と言えるのではないでしょうか
宗教とは何か
宗教っていろいろありますよね
そんな中、すごくざっくりと少ない知識で判断すると、
宗教には大きな二つの共通点があります
- 教義を守ることが善である
- それにより、素晴らしい成果が発生する
乱雑ではありますが、私はこう考えています
宗教は、明確に特定の行為を善であるとした上で、
善行を積むことにより、素晴らしい成果を約束するものなのです
人生は宗教である
人生と宗教には確実に類似点があります
人生を宗教風味で論じるならば、
- 教義(社会的に価値のあること)を守る(する)ことが善である(承認される)
- それにより、素晴らしい成果(自己実現)が発生する
となるかもしれません
ですが、賢明な読者様であれば気付いていると思います
「社会的価値を提供することと、自己実現は必ずしもイコールではない」と。
人生は必ずしも宗教ではない
つまるところ、「社会的価値の提供」と「自己実現」がイコールでなければならないのです
これは独立した二つの欲求(目的)であるはずで、普通に考えて一致しないはずです
これは、宗教がこの二つを「手段」と「目的」という形で連携していることから来ています
ここに不一致がある人にとって、人生は宗教にはなり得ません
やはり人生は宗教である
ですが、考えてみてください
「社会的価値の提供」と、「自己実現」がリンクしない人ってどれくらいいますか?
より多くの人に価値を提供し、認知されることって自己実現になりませんか?
であるなら、これはもはや宗教です
「社会的価値の提供」を教義とし、「それによる自己実現」を最終目的とする宗教です
自己実現という主観的なはずの要素が、客観的な指標で達成される。
この「認知障害」から脱却している人でない限り、
人生は宗教である、というところに帰結するのだと私は思います
おわりに
結局のところ、人間は社会的な生物なんだと思います
社会的な生物である、という根源的な部分を超越しない限り、
人生は宗教にならざるを得ないのです
宗教というコンテンツは、人生という抽象的な概念に対して
明確な「教義」と「素晴らしい成果」を定義しているに過ぎません
抽象度が一つ下がっただけで、宗教は人生なのです
そして人生は、教義が少し抽象的になっただけの宗教なのです
オカルトをバラまいて悦に入ることを善とする、
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