意識高いワードは意識が低い

どうもクロノ・マスターことおわむぎです
今回は意識高いワードについて少しだけお話します

意識高いワード、僕の大好物に見えると思いますが
実のところ、極力使わないように心がけています

それではビビッドエポックメイキングロジックをお見せしましょう

 

意識高いワードは抽象的過ぎる

意識高いワード、いろいろありますよね
とりあえず今回は「ペンディング」というワードを使ってみましょう
この「ペンディング」という単語にはいろんな意味があります

  • 先送り
  • 〇〇待ち(意思決定待ちなど)
  • 凍結
  • 優先度を下げる

などなど、いろいろあります
ですが、一番しっくりくる訳が実はあります
「保留」です

これは、本来の単語の意味がそうであるので当たり前ですね
ですが、実際に「ペンディング」と言われるケースでは、
この様々な意味の中からどれか、ということが殆どです

 

意識高くないワードでも抽象的過ぎる

先程の話を聞いて、「なんか矛盾してない?」って思ったかもしれません
そうであれば、今回の話を聞く必要はあまり無いかもしれませんね

実を言うと、先程の例ですが
「保留」という単語が一番抽象度が高く、
残りのパターンは少し具体的にしただけなのです

つまりは、「保留」という単語自体が抽象的なのであり、
「ペンディング」という単語が特別抽象的というわけではないのです

 

抽象度に対する感覚に問題がある

じゃあどっち使っても同じじゃん!って思いますか?
理想的な世界なら恐らくそうなのだと思いますが、
実際はそうならない、というのが僕の持論です

例えば「保留」という単語を聞いた時、
それが「どうして保留なのか?」と思いますよね?
この言葉が抽象的であることを知っているから、具体に目が行くのです

でも、「ペンディング」と聞いた時、どう思いますか?
「ペンディング=”保留”より具体的な事象」になりませんか?

外来語を翻訳するという処理において、人は具体的になりがちだと考えます
翻訳の記憶は1対1の具体的な紐づけがベースにあるからでしょうか?

 

思考放棄が出来る「便利さ」

ここからが恐ろしいところです

この意識高いワードを使った際、
本来であれば「抽象->具体」の変換は自分がするはずなのに、
それを相手に委任することが出来るのです

何故意図的に抽象的な表現を選択したか。
具体的にするならば何が適切か。
この思考を放棄して、相手に都合のいいように解釈させることが出来るのです

それはただの「ペンディング」に過ぎません

……って言った時のペンディング、どう捉えましたか?
なんか都合のいい具体的な訳を当てはめて納得しませんでしたか?

 

それはただの「保留」に過ぎません

……って言われたら、抽象的な表現をあえて使っていると感じませんか?
それでいて何言ってるか全く分からない、ってなりませんか?

この何言ってるか全く分からないはずの文章を、
聞き手に判断を委任することで誤って理解させるのが「便利すぎる」のです

もちろんこの二例ですが、僕はどちらも何を表現したいのか全く理解していません
であるならば、読者は「理解できない」のが健全ではありませんか?

 

おわりに

多方面に怒られそうですが、
僕は「意識高いワード」は「意識が低い」と思っています

意識高いワードを多用することで、
「自分は分かってないけど」「相手はなんとなく分かる」状況を作れます
当然相手は全て理解した上での発言と思いこむため、頭が良く見えます

ですが、これは誤った伝わり方であるとともに、伝える側の怠慢が見え隠れします

 

僕がこのワードを意識的に避けるのは、
僕の主張がとても抽象的であることをあえて伝える為です

抽象的なものは他人には正確には伝わりにくいです
ですが、「抽象的で良く分からない」という感覚こそが大事だと思うのです
「分からない」を「分かった」に粉飾するのはとても不健全なはずです

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