企業wikiは本当にクソなのか? ― 令和における「情報の価値」を考える

皆さん企業wikiってご存知でしょうか?
企業wikiというのは、営利企業によって運営される攻略サイトを指します
wikiは皆で編集するサイトなのですが、何故か企業のみが編集権を持ちます

そしてこのサイトですが、大量の内部リンクと情報の小出しによるページ数、
企業努力によるドメインパワーも相まってSEO対策が非常に強力です
基本的にどんな内容でも、検索した場合に最初に出るのは企業サイトでしょう

これらはアフィリエイト業界……つまるところ商品のお勧め系サイトにも言えます
そんでもってここで問題なのが、これらはSEO””だけ””しっかりしていて内容が薄い事です
内容が薄い……つまるところ「情報の質」が低い、と言う事です

でも、ふと思ったんですよね
そもそも情報の質ってなんだ、と。
そして、情報の価値ってなんだ、と。

ということでそのあたりを書いていきますね

 

「情報の質」とは

僕が思うに、質の高い情報というのは適切な抽象度を持っています
まあ分かりにくいと思いますので、ちょっと例を挙げますね
自分がダイエットをしたい20代男性だと仮定した場合、抽象度別の情報はこうなります


↑抽象的

  1. エネルギー消費量>摂取量にする
  2. 基礎代謝の計算方法&食事における人間のシステム&運動における人間のシステム
  3. 出来る限り運動する&カロリーを摂り過ぎない&血糖値を上げない食事にする
  4. 通勤時に階段やつり革利用、毎日筋トレ15分、食事は2000kcal以下。
    食品例はこんなのがある。運動のメニュー例。イメージ画像添付。

↓具体的


とまあこんなイメージですね(数字は適当です)
大体今のネットにおける情報は、1~3をさらっと&4をしっかり書く造りになっています
つまるところ1~3は前座であり、4が本題であるという構成になっています

これの問題点は、情報の汎用性が低く、ページ内の情報密度もまた低いことにあります
例えば4を覚えたところで、40代女性のケースに上手い事転用することは出来ません
また、新しい食品が出た場合や通勤自体が無くなった場合にも同様のことが言えます

 

適切な抽象度の情報は、2なんですよね
1だと抽象的過ぎるし大体概念としては知っているでしょう
3は2から自明ですし、4も3から導出することができます

そういう感じで、2を出来る限り深堀りする記事が一番「応用度」が高いんですよね
まあ要するに、「思考コスト」を支払うことで以後の情報を導出してもらう記事になります
4が「解答」であるなら、2が「解法」っていう解釈ですね

そして面白いことに、与えられた「解答」は「解法」に当てはめる「変数」が甘いです
多くの人にウケる変数設定……つまるところ20代男性のステレオタイプに合わせてあります
だから、自らが導出した解答の方がそもそも正確であるはずなんですよね

一応例として、僕の思う適切な抽象度の記事を貼っておきます
LOLというゲームで書いた初心者向けのキャラ選択についての記事です

 

何故抽象度の変化が起きたのか

では何故、抽象度の高い情報の価値が低下したのでしょうか?
そう考えた時、やはり頭をよぎるのはgoogleの支配でしょうか
いまやすべてのコンテンツは「googleに評価されるか」で回っています

googleに評価されるには、とにかく具体性と数が求められます
検索クエリにカチっとハマり、それに対して具体的な解答があること。
もしくはyoutubeみたいに、定期的に供給されないとお勧めに乗らない、など。

そう考えた時に、「解法」を伝える情報は「解答」を伝える情報に勝てません
「解法」は応用度が高い故に、具体性の高い事象における完全な解答にはなりません
「解法」は応用度が高い故に、定期的な情報提供を行うのが難しくなります

それに対し解答の供給は、googleに評価される基準全てを満たしています
ですから、解答の情報が勝つのは当たり前ということになります

……でも、そうじゃない気がするんですよね

 

そもそもなんでgoogleが評価しているのか?

だって、googleのAIが評価している……ということは、評価されて然るべきだからです
僕と同じように抽象的な情報を求める人がいるのならば、等しく評価されそうなものです

以前も書きましたが、今は「数」で評価される時代です
10人が100点を出す情報より、100人が1点を出す情報の方が価値があります
選挙よろしく、一票の格差ならぬ「個人に齎す効用の格差」はないものとして扱います

つまるところ情報の””価値””が、僕の考える情報の””質””と連動していないんですね
どれだけ役に立つかではなく、どれだけの人から1点だけもらえるかが「価値」だからです
そして、この現実が指し示すのは「具体性の高い情報を求める人が多数派」という事実です

つまるところ、一般的には「思考コストを支払うこと自体が悪」なのではないでしょうか?

 

そもそも人間は思考コストを支払いたくない

例え解答に差分が無くても、ある程度の思考コストを支払うこと。
これは人間として生きる上でとても重要な要素であると個人的には思っています

ですが、昨今の世の中には思考コストを支払わなくさせるような内容に溢れています
検索ボックスに何か入れると検索ワードをサジェストしてくる。
お勧め動画を勝手に表示する。すぐに使える具体的な情報ばかりが共有される。

これが加速したのって、本当にここ数年くらいの話だと思うんですよね
こういうサービスが増えた結果、人々の価値観まで変わったのでしょうか?

 

って考えた時、たぶん本質的に人間は思考コストを支払いたくないのだと思います
少数派の人間だったり、その分野において本気な人間だけが思考コストを支払うのでしょう

例えばヒューリスティック……いわば偏見で直感的に決めるシステムが人間にはありますね
その”設計思想”って、「思考コストを下げつつ統計上の正解を得る」ことが目的であり、
本質的には「裏の思考そのものを隠蔽する」ように意図しているように思えてなりません

昔は抽象的な情報だらけだったのは、それしか無かったからではないでしょうか
検索クエリとデータベースが貧弱であれば、すべての具体例を収容出来ません
汎用性の高い情報を共有し、各々で思考コストを支払って貰うしかなかったのでしょう

「知的生命体であろうとする動物」、こそが人間なのでしょうね

 

思考コストの放棄が齎す悲劇

ここまで書いて、人は思考をしたくないと結論付けました
ですが、思考をしたくないとはいえ思考をしないといけない場合もあります
これが、今後大きな問題になってくると個人的には思っています

例えば、何かにおける上達。
最短で上手くなるための情報では、恐らく最短では上手くなれません
例えば、思考を要求するような遊び。
モンスターハンターのように、攻略がコンテンツとして成立しなくなります

本気で何かに取り組む際、それは必ず思考を要求すると考えます
その試行錯誤そのものが楽しさであると同時に、コンテンツでもあるのです
だから、思考を極端に取り除く情報化の行く末にあるのは「虚無」なのかも知れません

思考とは判断の基準であり、選択そのものであるとも言えます
人生は選択の連続なのに、選択を他者に委ねて何が面白いのでしょう?

 

 

おわりに

googleを信用するのであれば、逆説的に人間は思考を放棄したがっているように思います
これは、本気で何かを取り組む際の障害となり得ます

というのは、二つの角度から障害になります
一つは「本気の人向け情報が完全に埋もれる」ことと、
もう一つは「本気で何かを取り組むことが出来なくなってしまう」ことです

だから、情報化による「人類総思考放棄時代」が早く終わって欲しいと切に願います
そのうちこの「思考放棄」面白くないな?って気付いてくるんじゃないかと思います
例え今のトレンドが「意思決定の外部化」だったとしても、です

意味が無くても思考すること自体が、人間が知的生命体で「あろうとする」証なのです

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