「チームゲー」は娯楽としての「いじめ」である
最近の対戦ゲームの流行り、っていつもチームゲーですよね
APEX、LoL、Valorant、dota……プレイヤーが多いのはやはりチームゲーです
個人的には1v1のゲームが好みなのですが、何故チームゲーが流行るのでしょう?
恐らく、いろいろな意見があるかと思います
今回は、僕が最近思った「本当の理由」を書いていこうと思います
といってもいつものようにこれは仮説であり、暴論です
オカルトークとしてお楽しみくださいませ
そもそもの「楽しさ」
そもそも、「ゲーム」としての楽しさはどこにあるのでしょうか?
そう考えた時、僕は「ゲーム自体が好きであること」だと思います
これは、なんだかんだ至極当然では無いでしょうか
とはいえ、現実にはそうではありません
ゲームに価値が無かった時代であれば、ただただ「好き」だったでしょう
しかし、ゲームに価値がある現代社会において「ランク」は「ステータス」です
勿論、純粋な「好き」の延長にある人もいるでしょう
そういった人は、その熱量から高いランクを維持するでしょう
というより、本当に高いランクの人はそういう人しかいないでしょう
ただ、「人気」は1%未満の人達からは形成されません
だからこそ、平均的なプレイヤーの心情にこそキーがあるはずです
ゲームに”求める”「楽しさ」
であれば、ゲームにはそれ以外の「楽しさ」を求めるはずです
それはストイックな求道者精神に基づくものではなく、俗物的なものです
最も分かりやすく、よく言われているのが「勝利」や「評価」でしょう
勝つこと自体が楽しい。ランクが上がるとチヤホヤされる。
そういった「ゲームシステム」とは関係のない、人間関係の中に楽しさを見出すのです
そんな中、チームゲーは「勝利」や「評価」が曖昧になりますよね
自分の影響範囲で勝敗が全て決まる訳ではなく、運の要素が入ります
であるからこそ、現実を都合よく解釈出来ます
負けたら、自分のせいではない。勝ったら、俺がキャリーした。
ランクが上がらないのは、味方のせい。俺は実質チャレンジャー。
そういう「言い訳」や「運の振れ幅」があるからこそ、チームゲーが流行る。
というのは聞き飽きた言説かと思います
これは間違いでは無いかもしれませんが、もう少し先があるように思います
承認とはマウンティングである
思うに、こういった「勝利」や「ランク」は、「自らの誇示」の媒体なのです
あえて「ゲーム」の世界でも「勝負」をする人は、自らの価値を証明したい人だと考えます
僕も対人ゲージャンキーだった時期があるので、凡そそんな気がしています
そして、「自らの誇示」って結局、「マウンティング」だと思うんですよね
その分野において、相手より優れているというポジションを取ること自体に意味があるのです
対戦ゲームにおける「対戦」とは、大多数の人にとってはその「材料」に過ぎません
……それって結局、「勝利」と「ランク」でマウントを取ってるだけじゃない?
と思うかもしれませんが、これは微妙に違うと同時に、致命的にも違います
負けてもいい、ということ
チームゲーにおける、致命的な差分。
それは、「運の要素」ではないと考えます
それは、「負けてもマウンティングが成立する」ということです
個人のゲームであれば、勝利しないことにはマウンティングは出来ません
勝敗が決まった時点で、マウンティングの余白が残っていないのです
ですが、チームゲーであれば「弱い味方」にマウンティングが出来ます
すなわち、「味方に文句を言う」こと自体がコンテンツとして優秀なのです
程度の差はあれ、必ず味方に文句を言いたくなったりするでしょう
その「行為」や「思考自体」に価値があるために、チームゲーが流行るのだと考えます
おわりに
今回の話は、ゲームが好きでやってる人には関係ありません
単純に、私のような「一般プレイヤー」にとっての話になります
純粋な成長や、純粋な勝負。
自らの「力」を、運要素関係なく試したい。
そういう部分が、一切無いなんてことは無いでしょう
ただ、そこまでのストイックさは「娯楽」には必要ありません
だからこそ、インスタントに快楽を得る必要があります
本来、敵対勢力ではない人間に向かってマウンティングをする。
これは、「いじめ」と本質的な差はありません
であるなら、「チームゲー」は娯楽としての「いじめ」なのです