代償として得た「ゲームならでは」の圧倒的没入感 ― SOUL SACRIFICE DELTA(レビュー)
それは代償を払ったがゆえに、唯一無二で美しい。
[作品名]
ソウル・サクリファイス デルタ(PS Vita) [公式サイト]
[プレイ時間/進行度]
70時間程度/本編全クリア、高難度やり込み一通りクリア
概要
ソウルサクリファイスデルタは、前作ソウルサクリファイスの完全版である。
アクションの刷新、ストーリーの追加、モンスターの大幅追加がなされている。
「欲望と代償」が徹底された世界で、名も無き主人公は生きた「本」の追体験をする。
それは乱暴な言い方をすると「ダークな狩りゲー」であろうか。
そう世間的に判断され、公式も似たような商業展開をした作品でもある。
しかし、本作品は「狩りゲー」と位置づけられているものの、
狩りゲーとしての装備収拾やアクション性は及第点に届くかといったレベル感だ。
「狩りゲー」とは名ばかりの「3Dアクション」とでも表現したほうが的確かもしれない。
だが、ゲームの最も評価すべき点は、そのダークな世界観と表現のセンスである。
モーションやテクスチャなどの素材一つ一つは荒削りであるものの、
それを補って余りある表現力で圧倒的なまでの存在感を放っている。
狩りゲーとしての魅力は低いが、圧倒的な表現による没入感が素晴らしいゲームである。
ということで、詳しく見ていくとしよう。
救済はない。息苦しく哀しい世界。
本作品で最も特徴的なのは、独特の世界感を肌で感じることだ。
「欲望と代償」― 欲望を満たすには必ず代償が必要となる。
「生贄と救済」― 欲望に溺れ魔物化したモノを「魔法使い」が倒し、
「救済」するか、「生贄」にして自らの一部とする。
この世界観は、ゲーム内の至るところで感じることができる。
主人公の使う技の数々は、何かを代償とする。
全てのボスモンスターは、欲望に負けた「誰か」だ。
そして戦うフィールドですら……「欲望と代償」の例外ではない。
全ては本から始まった
このゲームは全て「本」を読むことから始まる。
本は何のためにあるのか?
色々あるだろうが、本作のそれは「世界感を表現する」ためだろうか。
本にはメインストーリーという物語が書かれている。
その一節に入り込み、物語を追体験する。とても理に適っている。
本にはモンスターやフィールドの情報が書かれている。
図鑑としてバックストーリーや弱点を調べる。とても理に適っている。
そして本とは本質的には……〇〇である。
これはプレイしたら分かるはずだ。
SOUL SACRIFICEは本から始まり、本で終わる。
そして、「本はこういうもの」と、ゲーム上の役割が違和感なく融合している。
別媒体であるはずの「本」と「ゲーム」が、ここまで表現としてマッチするだろうか?
ストーリーとゲーム的表現の融合
このゲームのストーリーは、王道気味の良く出来たストーリーだ。
だが、それはこのゲームのストーリーの良さを表現するには足りない。
SOUL SACRIFICEでは、倒した敵から経験値を取得するとき「生贄」か「救済」で選ぶ。
どちらを選ぶかにより、攻撃的か防御的か成長傾向が変わるのだ。
そしてこのゲームは、ストーリー上の選択も「生贄」か「救済」で選ぶ。
SOUL SACRIFICEでは、ボスの体力が減るたびにボスの「嘆き」が画面に浮かび上がる。
ゲーム的な体力変動の通知と、ボス毎のバックストーリーの展開が融合しているのだ。
そしてこのゲームでは、重要なボスの心境についても例外はない。
メインストーリーの選択と、心境の吐露。
物語を紡ぐにあたってコアとなる部分は、普段のゲームプレイと全く同じ表現でなされる。
だから、「選択している感」は果てしなく重い。
だから、「心境の説得力」は非常に高い。
これは、大きな没入感を生むことに成功している。
それは「何をするにも自分が世界に干渉する」という「ゲームならではの表現」である。
ゲームというプレイヤーが介在する表現媒体において、これは非常に重要である。
寧ろ、それこそがこの表現媒体を選ぶ意味なのかもしれない。
そう思わせてくれるのがこのゲームの特筆すべき点である。
総評
今回は説明を省いたが、アクション部分は及第点レベルではある。
だが、ソウルサクリファイスデルタは「ゲームだから」出来たと言える。
表現媒体としてここまで使いこなしている作品は2021年現在でも多くないように思う。
だが、ソウルサクリファイスデルタはゲームならではの表現に全てを捧げたのだ。
だからこそ、その「代償」として他がお粗末となってしまっている。
それこそがこのゲームのテーマ……「欲望と代償」である。
ただ、それだけだ。
個人的お勧め度: ★★★★★★★★★★(10/10)