本当の意味での「育ちの良さ」とは何か?

育ちがいい、って言葉ありますよね
なんか立ち振る舞いが優雅()とか、不快感を与えないとか、そういうやつです
恐らく大多数の人が「空気感」で、他人をこう評価しているのではないでしょうか

育ちが良い、というからには「格式高い家の生まれ」なのでしょうか?
そもそも育ちの良さ、いわゆる「育ち」とは、「生まれ」を指すのでしょうか?
こうして考えると、あまりにも「雰囲気」でこの表現が使われていると思えます

ということで今回は、この「育ちの良さ」について持論を展開していこうと思います

 

「育ちが良い人の共通点」を考える

最初に、「育ちの良い人」の特徴から考えてみましょう
適当にgoogle先生に聞いてみて、適当にアフィリエイトブログサイトを見てみることとします
基本的には、このような感じとなりました

  • 良識やマナーがある
  • 所作や行動に品がある
  • 悪口や下品な言葉遣いをしない
  • 気配りが出来て、なおかつ余裕がある
  • 感情的になることが少なく、優しい

なんかこうやって羅列すると、謎の自己啓発感がありますね
まあ自己啓発、と言えばこのブログも自己啓発とは言えなくも無いですね
それはさておき、私も概ね賛同するところです

ただ、もう少し僕は「抽象的な」定義を持っています

 

「育ちが良い人の共通点」の共通点を考える

先程上げた上記の共通点から、更に共通点を探ってみます
まあもう一つだけ抽象度を上げてみましょう、という話ですね
長々と書いてもしょうがない気がするので、ここでは結論から述べてしまいます

その共通点とは、“”極めて合理的””な「対人術」と「メンタルコントロール」にあるのです

例えば、良識やマナー。
これは、必ずしも「正しい」マナーである必要はありません
純粋に、人を不愉快にさせない程度の「気遣い」であれば、良いと考えます

例えば、所作や行動。
これも、上記の良識やマナーと共通するところがあります
他者に不快だと思われないような行動をする、というところに共通項があります

このように、「多少我慢することで」「周囲から好感を得ることの出来る行為」なのです
この「我慢」は感情的なモノであり、実際のコストは皆無に等しいです
非常に効率的である故に、この行為は「極めて合理的な対人術」と言えます

そして、「感情的にならない」ことや、「気配りをする余裕がある」という事。
先程述べた「我慢」を、理性的にコントロールできるという事。
これは、「メンタルコントロールに長けている人である」と言い換えることが出来ます

つまるところ、「育ちの良い人」とは、こういう事になります
「優れたメンタルコントロール力」をもって、「合理的に対人関係を処理する人間」、です

 

なぜ「育ちが良い」と言われるのか?

では何故、「育ちがいい」と言われるのでしょうか?
私の中では、これについて二つ仮説があります

一つは、「人に不快感を与えない」という所作が本当に「育ち」であったから、です
言葉が生まれたのが、価値観が固定化されていた時代であったなら、可能性はあります
そういった所作の知識体系が、富裕層に独占されていたという事ですね

もう一つは、「傾向」としてそうなったからです
高いメンタルコントロール力を自然と身に着けるには、安定した家庭環境は重要でしょう
理性的な判断をするには、遺伝的な頭脳に寄る部分もいくらかあるでしょう

この二つの仮説について、今更前者について話してもあまり意味はないと考えます
実際にそうであったなら、「そうだったんだ」で終わってしまいますからね
ということで、後者をもう少しだけ考えてから終わるとしましょう

 

自ら至るのが、「本当の育ちの良さ」

一旦、ここまでの持論をまとめてみましょう
私の考える「育ちの良さ」とは、メンタルコントロール力と合理的な対人術、です
そして、「生まれが良い人」「育ちの良い人」の特徴が表れる傾向がありそうです

纏めたところで、ここでの本題に入っていきます
私が思うに、「育ちの良さ」には大きく二種類あると考えています
先程あえて「傾向」という表現をしたのも、このためです

一つは、「育ちの良さ」に依存して「行動をなぞっている」パターンです
親がそうしているから、そのような行動パターンが自然と身についた。
感情を荒げない余裕は、環境的に優れており「心の支え」が自然とあるから。

もう一つは、「育ちの良い」行動を、「合理的ゆえに実行している」のパターンです
効率的な対人術として、常に不快感を与えないような行動を徹底する。
感情を荒げない余裕は、荒げること自体が合理的では無いから。

私が思う、「本当の育ちの良さ」はこの「後者」だと考えています

そして、多くは「後者をなんとなく理解した前者」なのではないでしょうか?
親の通りに行動した結果、何となく上手く行く。だから、これが処世術と理解する。
多くがそうであったから、言葉的にも「育ちが良い」と表現されるようになった。

まあ、これは根拠のない妄言でもありますね
後者の前提は、合理的思考とメタ認知です
それを身に着けることが出来た人間は、傾向としてIQが高いとも言えるでしょう

であれば、しっかりした親≒IQの高い親、と考えることも出来ます
この思考に至った人間が、傾向として「親ガチャ成功者」に多い、のかも知れません
ただ、私は「模倣」によるものが多いのではないか、と考えてはいます

 

育ちの良さは、作れるのか?

ということで、本題です
育ちの良さは、作れるのでしょうか?
私はきっと作れると思っていますが、世間とは少し違う考えです

自己啓発系では、育ちの良さは作れると言われますよね
様々な所作を気を付けることで、疑似的に「良い親」を「模倣」するのです
そういった意味では、容易に作れるのかも知れません

ただ私は、「模倣」による「育ちの良さ」にはあまり価値を感じません
そこには、確固たる行動理念が無いからです
こうすれば日本では評価される、という「テクニック」に過ぎないからです

それはとても具体的で、応用が効かないものです
人の価値観が変われば、やがて風化します
他の国に行けば、役に立たない代物になります

だからこそ、私は「育ちの良さ」という言葉で考えるべきではないと考えます
単純に、メンタルコントロール力と合理的な対人術を身に付けろ、と考えるのです

なので、「育ちの良さは作れるか?」と問われると、回答は難しいです
それは、インスタントなテクニックなら容易かも知れません
ですが、「価値ある」「本当の育ちの良さ」は一生をかけないといけません

 

おわりに

ということで、今回はここで終わりです
要するに、「育ちの良さ」は「メンタル」と「対人術」なのです
そして、「模倣」で”身につける”より「思考」で”辿り着く”べきだと考えます

「育ちの良さ」は、きっと後天的に作れます
ですが、インスタントな「育ちの良さ」は、ただのテクニックに過ぎません
自己啓発的な「育ちの良さ」を身につけても、「思考」は洗練されません

だから、一生をかけて学んでいくものと考えるべきです
インスタントに身に付く技術に、価値は無いと私は考えます

インスタントに身に付くということは、体系化されているという事です
それ故に、そこに「深み」はありませんし、他者との差別化も図れません
概念として抽象的で説明し辛いほど、本当に価値があると考えます

 

少し本題とブレますが、これって結構面白いんですよね
インスタントに身に付く方が、理解しやすいが故に評価されやすくなります
本当に希少で価値があるほど、理解しにくいが故に評価されないんですよね

言語化が難しい技術ほど、価値があるのに評価されない傾向にある。
それは「解」が曖昧であるからこそ、困難の末に身に付くものである。
苦しく希少であるのに評価されないなら、そもそも評価に意味はあるのでしょうか?

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