誰でもできる(誰でもできるとは言ってない)
開幕から矛盾しております
<<論理の支配者>>おわむぎと申します よろしくお願い致します
さて今回は「誰でも出来る」について書いていきます
当たり前すぎるので、短くサクッとまとめていきます
誰でも出来る
誰でも出来る……って言われることはいっぱいあります
例えば誰でもプログラミングは出来る、とかMARCHには誰でも入れるとか、ですね
これって、実際のところ「誰でもできる」のは間違いないと思うんですよね
特別な才能も必要ないですし、1+1の積み重ね……要は論理の積み重ねで対応出来ます
だから常人には理解できない要素がある訳でもないんですね
誰でも出来る?
じゃあタイトルのそれはなんだよ、って話です
ここで述べた誰でも出来る、とは「特別な資格や才覚がいらない」という意味なんですね
すなわち、1+1の積み重ねを理解するスピード感や、かける時間と環境は含まれません
モチベを常時維持出来るか、という要素も含まれません
パイロットになるには、視力という生まれ持った才能が必要です
格ゲーで世界一になるには、類稀なる才覚が必要です
士業を営むには、資格という最低条件があります
それらが無いから、純粋な努力だけで出来る=誰でも出来る、なんですね
誰でも出来ない
ここに100人の社会人がいるとしましょう
その全員がプログラミングを始めたして、出来るようになるのは何人でしょう?
これってたぶん多くて10人くらいなんですよね
プログラミングをある程度楽しく出来て、努力を継続して出来る環境を作れる。
そういうことが出来る人だけが達成できるんですね
じゃあ誰でも出来ないじゃん!
誰でも出来ない?
誰でも出来ないのになんで「誰でも出来る」なんて経験者は言うのでしょう?
ホリエモンもプログラミングは簡単だ!なんて言ってますね
思うにこれは、視点の違いだと考えます
しがないエンジニアの視点から言うと、なるだけであれば「努力ライン」なんですね
平均以上の努力が出来れば「誰でも」出来てしまうという「努力のみの優位性」のラインです
ですが、そこから更に上位に上がるにはある程度の「才能」が必要です
努力を努力と感じない才能であったり、そもそもの脳の造りであったりします
本物を見てしまい、自嘲気味に諦めを含んで言うのが「誰でもできる」です
「努力したけど所詮凡人だった」というのが、真の意味ではないでしょうか?
おわりに
偉い人のポジショントークの「誰でも出来る」には騙されないようにしてくださいね
文脈を無視して、都合のいいように誤解させるために使った営業文句に過ぎないのです
中には本当に誰でも出来るものもあるかも知れませんが、「おいしい」はずはありません
つまるところ、「誰でもできる」の「誰でも」は「誰でも」ではありません
「(誰でもではないと理解している人なら)誰でも出来る」という皮肉です
まあこんなブログまで辿り着いた“””意識の高い”””方々は重々承知な内容である気はします
昨今のコロナ禍もあって「誰でも」で惑わせようとしてくる広告が多くて癪なので、
啓蒙活動というところで一つどうぞよろしくお願い致します