JTC病と現代病は似ている

久々のオカルトです
この日記帳も最近はそれなりにアクセスがあり喜ばしい限りでございます
ですが、相変わらず無広告のため常に赤字を垂れ流しております

ネットとは金稼ぎの場であり、金を使うなど酔狂もいいところです
ということで、雑な前置きからの本題に入ります

 

JTCにおける雑な課題提起

主語がクソデカくて信憑性のないオカルト記事なのですが、前提を申し上げます
JTCーJapanese traditional companyとは、保守的な昔ながらの大企業を指します
ここではこのJTCに見られる傾向として、以下を挙げたいと思います


意思決定の遅さと慎重さ

意思決定のスピードが遅く、慎重であることがまず傾向としてあると思います
これは、何重にも行われる承認プロセスや、決裁者の数の肥大化が原因の一つにあるでしょう
ですが大事なことは、承認プロセスのほうに多くの時間を割いているということです

リスク許容度の低下、保守的判断

セキュリティやコンプライアンスなどの重視や、リスク回避などです
これ自体は別に大きな問題ではないですし、一つ目の点と被るところもあります
要は、守るものが大きく・影響が大きいからこそ、慎重にならざるを得ないということです

上記を複合した結果の、意思決定の外部化志向

これらが複合的に考慮された結果、内部での意思決定をするのが負荷になってきます
そのため、意思決定を外部化したがる傾向にあるように思います

要は、意思決定のハードルが高く、保守的であるがゆえに、
意思決定そのものに対するリスクが肥大化し、外部化することで責任分散を図る訳です


ということで、妄想としてJTCの課題……特に、意思決定にかかるものを挙げました
これは非常に雑な提起なので、本当にオカルトではあるのですが
あたらずとも遠からず、ではないでしょうか

 

だが、理由はある

先程の点をまとめると、以下になります
「プロセスによる保守化」「判断そのものの保守化」「責任分散としての外部化」です
でもこれには、こうなるには、やっぱり合理的理由があります

中小企業からしてみたら、こんなプロセスでは市場では勝てないのでは、と思うかもしれません
ですがそれは「弱者の論理」だと思っています
というのも、JTCの抱える””問題””点は、「強者の論理」だからですね

結局のところ、資本と影響力が強ければ、リスクを取る必要そのものが無いんですね
その上で、中小企業が「100点」を取らないと淘汰されるのと比べれば、
大企業は「70点」でも取れれば、知名度と資本力で市場競争に勝ってしまえるのです

つまるところ、生存戦略としては極めて合理的なわけです

 

だが、負けもある

といっても、それだけで勝てるほど甘くはありません
こういうことを続けていると、じわじわとミクロで負けてきます
そしてそれが一定の閾値を超えた途端、マクロでも負けるようになると考えます

築き上げたブランドや資本が、中小企業の革新に負けてしまう。
これが複数の分野で起きたら、マクロでも負けてしまいます
では、お先真っ暗なのでしょうか?

というと、別にそうでもないんですよね
資本がモノをいうような業界に手を伸ばし、そこで戦えばいいのです
そういう形で、皆の「JTC」のイメージとは違うところで勝っているんですね

大体のJTCは、本業とは別に不動産や金融資産で利益を上げています
そういう感じで、「本業はダメ」だし「末端の社員からもダメ」と思われたとしても、
実は企業体単位ではちゃんと戦い方を心得ている、だからこそ潰れないのでしょう

 

で、JTCの経営者でもないのに何がいいたいんだよ

ってみんな思ったところで話を進めます
この「JTC」の傾向って、「今の日本人」と似てませんか?
主語がデカいのは仕様ですが、まあ言いたいことは分かるでしょう

新しいことはしない。ショート動画を摂取するだけ。
意思決定はしない。サジェストとAIに聞くだけ。
挑戦はしない。ミニマムに今を生きるだけ。

で、これは“”奇妙な一致””ではないと思っています
というのも、これは今の人類に「強者の論理」が適用されるからです

 

人類皆強者である、ということ

今の人類……というより、多くの人は、実は「強者」なのです
というのも、昔のように「資本」のようなリソースの奪い合いでは無いからです
今の人類は、「時間」をリソースとして奪い合っています

そして、その時間は各個人に対し、一定量が無料で提供されます
また、その時間の価値は、各個人の「主観」で判断されます

つまるところ、一番大事なリソースの所有権も、評価権も、個人が持っているのです
だから、70点を取り続け、成長や意思決定を拒否したとして、問題がないのです
幸せが「競争を前提としたリソース」に紐づかないから、無理を通す必要が無いのです

その結果として、どんどん人は「思考コストを払う」必然性を失ったのだと思います
だからこそ、今のような「思考の外部化」と「無思考」が流行っているのでしょう
そして、それは「強者」だからこそ自然発生した、人間の本能なのではないでしょうか

 

常に強者でいられるのか?

ただ、ここで一つ致命的な問題があります
JTCは、「気付かれずに」実は何かしらの活動を通し、最低限の成長をしています
ですが、JTCライクな人間についてはどうでしょうか?

結論、JTCライクな人間は「今のままでいいの消費期限」がリスク因子なのです
ふと我に返る瞬間が、人によっては来る。人によっては来ない。
ですが、この存在が多くの人にとって「見えない」リスク因子であると考えます

だからこそ、何かしらの「アップデート」や「意思決定」は必要だと考えます
どこかのタイミングでこのリスクと向き合った時、再起できなくなります
とはいえ、そのリスクが顕在化するタイミングは来るのか?というと、怪しいですね

 

おわりに

で、結局何がいいたいの?っていうと、「栄枯盛衰」「盛者必衰」の教訓です
「強者」になった途端、「強者」を維持することにコストを割くと、どこかで破綻します
だからこそ、「強者」でありながらも「挑戦者」である必要があります

ただ、多くの人は「強者」にしがみつこうとします
それはきっと人間の本能であり、ある種正しい普遍的な判断なのでしょう
それでも、強者でなくなる瞬間がきっと来ます

人間が強者でなくなるのは、自分の「時間」の評価が変わることです
もしくは、「時間」のリソースそのものが生産できなくなった時です
これはいつか来るかもしれませんし、来ないかもしれません

そして多くの人間にとって、この瞬間は来ないとも思っています
仮に来たとして、その時点で思考が順応するのではないかと思っています
だから、見せかけの強者にしがみつけばいい、とすら思っています

でも、それは少し味気ないようにも感じますね
やはりどこまで行っても、私は人間は「思考」をするべきと考えていますからね
それが最適解と言われても、やはり「浪漫」が無いでしょう?

皆さんもJTC病にかかってないか、今一度セルフチェックしてみませんか?

 

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