誰が為の黙祷なう

東日本大震災から10年が経過しました
記憶から消えた方や、記憶から消えない方など様々かと思います

それはそうと、皆さん黙祷はされましたか?
一時期、twitterなどで「黙祷なう」ブームがあったりして
不謹慎だとかなんだとか話題になったこともありました

今回はそんな黙祷について取り上げます
ここでは「黙祷なう」というより「黙祷そのもの」の話としてご理解ください

 

黙祷とは

黙祷という単語を調べると「祈りを捧げること」と出てきます
つまり黙祷とは祈りなのです
当たり前ですね

目を瞑って祈る事。
それが黙祷。

だとして、黙祷をするのは何故なんでしょうか?
というより、死者に祈るのは何故なんでしょうか?

 

黙祷には意味がある

黙祷には大きな意味があります
僕が思うに、黙祷の意義は2つあります

 

死者への「アプローチ」

死者に、触れることは出来ません
死者と、会話することは出来ません
それでも、人は死者と繋がる何かを求めるのではないでしょうか

会話せず、触れずに繋がる。
それは恐らく「祈り」しかない。一方的であったとしても。
だから、手段として自然と「祈り」が出てきたのだと思います

 

自己の安寧

これは上記のものと似通った部分があります

死者との折り合いをつけるのは難しいです
だからこそ、死者に対して何らかの形で整理する必要があります

祈りとは「死者を想う」と同時に「自己防衛」の手段なのではないでしょうか

 

部外者の黙祷には意味がない

上記の2つは、実際に死者と関連があった場合に限られます
では、完全に部外者の場合はどうでしょうか?

その場合において、黙祷の意味は「同情」だと個人的には思います
ここでは「同情」という言葉を選びましたが、
「黙祷」を通して「自分の精神上得をする」為に黙祷をするのではないでしょうか

 

被災者に配慮出来ている自分が好き。
黙祷をすることで、日本中の人と一体感を得られる。

「死者を悼む」という動機を「純粋」とするなら、
死者に関係がない人間のする黙祷は「不純」と捉えることは出来ませんか?

 

部外者の黙祷には意味がある

え?
って思うかもしれません
ですが、部外者の黙祷に2つ意味があります

 

再発防止として

一つ目は、事件を風化させないためです
風化させないことにより、より長く記憶にとどまり、
同じ過ちを繰り返さなくなります

人間という種の単位で、繁栄を目的とするのであれば、
黙祷なうはとても素晴らしい文化なのです
3/11の14時になれば、絶対にそのことだけを考えるのです

 

雰囲気として

二つ目は、皆が黙祷しているという「雰囲気」を作る為です

これは先程言った「一体感」に繋がります
一体感を得たい、という部外者の安直な感情が、
実は当事者にとってはとても「プラス」な可能性があります

日本国民全員で死者を悼む。
その一体感が、気持ちを整理する上で意義があるのではないでしょうか。

その日だけは、建前上だとしても、被災者が主人公になるのです
多くの人の支えがあるのだと感じることによって、
気持ちの整理がしやすくなるのではないでしょうか

 

おわりに

結局のところ、黙祷は「死者を悼む」という意味合いが強く、
それを前提に評価されているような気がします

ただ、「死者に絡む感情を整理する」「風化させない」という観点で見た場合、
建前でも「雰囲気を作る」ことに意義が生まれます

そもそも、純粋に「死者を悼む」というのはあり得ないと考えます
「悼む」理由があるはずで、実際「悼むことで感情を整理する」方が大きいとさえ思います
であるなら、「黙祷」は誰にとっても「不純」なのです

 

やらない善よりやる偽善。
自分の為にやった不純な祈りが、純粋な祈りの助けになる。

「不純」な祈りの先にあるのが、「純粋」な祈りなのかもしれません。

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