全ては二番煎じである

まーた極論かよ
ということで今日も元気に極論を展開していきます
宜しくお願いします

世の中には、いろいろなものが溢れています
特に、現代には消化しきれないくらいにコンテンツが存在します

コンテンツが溢れる世界だったとしても、「本物」は流行る。
「革新的」なものは必ず評価され、報われる。
コンテンツ飽和時代でも、このような言説は多々見かけます

これについて、大きく肯定も否定もしません
ただ、この「逆」は無いと私は思います
すなわち、「流行った本物」は必ずしも「革新的」ではない、ということです

ということで、今回はそんな話です

 

全ては二番煎じである

コンテンツクリエイターは、自らの感性を社会に伝えます
どんな媒体であれ、オリジナリティを発揮したいと考えるものではないでしょうか
だからこそ、独自性や差別化に拘る人も多い事でしょう

ですが、現代においてコンテンツは発信されつくされています
どんな分野にも先駆者がおり、最早その「二番煎じ」であることは避けられません
0.01%くらいの「例外」はあるでしょうが、基本的には「二番煎じ」でしかないのです

尖っているように見えるこのブログも、大昔の偉人の哲学書の「二番煎じ」です
似たようなyoutubeチャンネルなんかも数多くあるのではないでしょうか
凡人に出来る「オリジナル」要素など、現代には残されていません

 

オリジナルとは何か

では逆に「オリジナル」とは何でしょうか?
そう考えた時、それは「ジャンル」のような「定型」を作った作品でしょう

例えば、モンスターハンターは「狩りゲー」という「定型」を作りました
例えば、ソウルシリーズは「ソウルライク」という「定型」を作りました
こういった作品が、「オリジナル」と評されているかと思います

……果たしてそうでしょうか?
ソウルシリーズは、「メトロイドヴァニアの3D版」ではありませんか?
モンスターハンターは、「素材要求量の高いハクスラ」ではありませんか?

そう考えた時、「オリジナル」とは何なのでしょうか?

 

全ては二番煎じである

思うに、オリジナルとは「原初の二番煎じ」であると考えます
たまたま注目された、「最初の二番煎じ」ということです

99.9%のコンテンツは、二番煎じでしかありません
仮にそこに「オリジナル」があったとて、それは「同時多発的」だと考えます
世間に「オリジナル」が認知された時に、既に同型が多数存在しているのです

これだけの人間が発信していて、更に有史でも2000年の歴史がある訳です
世間的な認知より、コンテンツの生成スピードの方が遥かに速いはずです

だから、「オリジナル」など存在しないのです
それは、同時期に存在する「並行オリジナル」と「並行二番煎じ」でしかないのです
その中で最初にたまたま注目されたものが「オリジナル」に「生まれ変わる」だけです

 

二番煎じであるなら、嗜み方が大事

ここまでだと、ただ売れているコンテンツを僻んでいるようですね
ですので、ここからが本題です
私は、全てが二番煎じであると理解した上で「嗜み方」こそが大事だと考えます

「二番煎じ」であるなら、「嗜むべきポイント」に「独創性」はありません
それはきっと、「秘めたるこだわり」にあると考えます

こだわりとは、決して譲れない人生における「偏見」でしょう
製作者が意識的に、もしかしたら無意識的に放り込んだ要素です
テンプレの中に光る、一つの「独自要素」です

こだわりは、人生経験そのものです
だからこそ、それは「オリジナル」にしかなりません

 

それってあなたの感想ですよね?

であれば、どのようにその「こだわり」を感じ取るのでしょうか?
その答えは、「想像」にあると考えます
それとも、「妄想」の方が近いかも知れませんね

つまるところ、「このコンテンツは、ここにこだわった」と考えるのです
作者のこだわりを、受け手が血眼で探すのです

でも、その人のこだわりなんて全く分からないんですよね
Ender Liliesでは「音にこだわった」なんて私は解釈しました
これが本当にこだわったかどうかなんて、全くもって分かりません

……それってあなたの感想ですよね?
そう言われたら、返す言葉もありません

ですが、そもそも評価なんて「受け手の感性」に過ぎないのです
だからこそ、自分の感性を総動員して「妄想する」のが一番良いと考えます

 

おわりに

僕は、「オリジナル」が神格化されすぎていると感じます
それは確かに優れているし、こだわりも素晴らしいとは思います
ですが、「オリジナル」ということに「価値」は無いとも思うわけですね

最近は、数ですべてが決まります
だから、評価一つとっても「高評価の数」で決まるように思います
それは0か1かの集合でしかない上に、基準も総合的な「良し悪し」というものです

そもそも「世間評価」は「受け手の感性」を「万人レベルに抽象化したもの」なのです
「オリジナル」という評価は、「世間的な認知数」の象徴とも言えるでしょう
受け手の感性を「平均的な人」に設定した上で、「0か1での評価」を集めた作品です

これからは、自らの感性で二番煎じを嗜んでみては如何でしょうか?

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