もはや「レビュー」に価値はない
え?
じゃあこのブログいる?
最近オカルト記事がほとんどなく、溜まったレビュー記事を垂れ流す毎日です
最近レビューいっぱい書いてて、ふと思ったんですよね
レビューってコンテンツ、誰のためにあるんだ?と。
世の中にはいろんなレビュー記事が存在すると思います
プレスリリース的な記事、忖度無しレビュー、辛口レビュー。
それらをひっくるめた闇鍋としての「steamレビュー」。
これらは世界に対してどのような効用をもたらすのか?
そういったところについて、思ったことを綴っていきます
レビューにおける性質
レビューは何のためにあるのか?を考える前に、まずは「分類」が必要でしょう
というのも、レビューという言葉はあまりにも範囲が広すぎます
大半のコンテンツは目的があってのものですからね
考えるに、レビューは以下の性質で分類できると思います
- 「世論」としての「評価」
- 「エンタメ」としての「レビュー」
- 「広告」としての「レビュー」
- 「参考材料」としての「レビュー」
世論としてのレビュー
これは、steamレビューなどにおける総合的な「好評」という評価を指します
多くの人間の批評の統計を取って、統計データとして「批評」をします
エンタメとしてのレビュー
youtubeなどにおいて多く見られる、インプレッションを目的としたものです
「忖度なし」「激辛」などで「エンタメ感」を出しているのが特徴です
これの目的は「購買」より「インプレッション」になります
広告としてのレビュー
これは、主に企業体などがプレスリリースと共に行うようなものを指します
また、アフィリエイト広告などを目的としたゲームカタログなどもここに分類します
要は、当たり障りのない特色をベースに購買意欲を煽るようなものです
参考材料としてのレビュー
これは、例えばsteamレビューの個別レビューや、本ブログが該当します
インプレ/購買よりも個人の感想を共有/記録する欲求をベースとするものです
目的は主観の主張であるがゆえに、内容は様々です
ということで、これらをベースに少し考えていきましょうか
レビューは誰のためにあるのか?
ということで、今度は「レビューを使うのは誰か?」を考えます
まず思い浮かぶのは、ユーザでしょうね
といっても、ひとえに「ユーザ」というには乱暴でしょう
ここでは、ユーザを「購買意欲のあるユーザ」と「暇なだけのユーザ」で考えます
エンタメを欲しているのか、実際に購買を検討しているのか、ということですね
他に「レビューを使う人」は、広告主でしょう
普通にゲーム広告の一環としてレビュー記事を出す、という感じですね
これは、広告主と似た関係にある媒体(ゲームメディア)も同じです
あとは……インフルエンサーとでも言いましょうか、そういう人たちです
エンタメをベースにインプレッションを稼ぎ、人気度を換金する人ですね
という感じで、まとめると以下について本記事では考えていきます
- 購買欲のあるユーザ(購買層)
- 暇なユーザ
- ゲーム開発者・ゲームメディア(販売にかかる利益関係者)
- インフルエンサー/タレント業
供給の不一致
上記の「使う人」を考えた時、消費者と生産者に分かれます
誰が生産し、誰が消費するのか?をざっくり表にするとこんな感じでしょうか
暇なユーザもsteamの世論を見るでしょ?といえばゼロではありませんが、
購買欲もない人が、steamの総合評価を眺めることはほとんどないでしょう
ちなみに、「圧倒的不評を獲得!」っていう「紹介」は、エンタメに分類されます
で、この表を見た時、面白い傾向があると思います
世論/参考レビューのみ、生産層と利用層が大きく被っています
その上で重要なのは、エンタメレビューや広告レビューは、目的が異なるということです
まあ仕事でやってるので当たり前な話ではあるんですけど、そう見せないのが仕事ですからね
エンタメレビューを提供する人は、購買層はあまり相手にしていないでしょう
購買層よりも暇な人間のほうが遥かに多いわけですから、それは当然です
レビューと言っておきながら、紹介画像が大半の形になるのには理由があるのです
また、「広告レビュー」と「エンタメレビュー」の境界は極めて曖昧になると考えます
インプレを狙うならよりエンタメに、直接的な購買を狙うなら広告に寄るだけですからね
エンタメ要素のある、購買層向けレビューみたいなのも一定数存在するはずです
ただ、これらの評価軸はあくまでも「インプレッション」なのは忘れてはいけません
で、何が言いたいの?
で、何が言いたいかというと、世の大半のレビューは「金稼ぎ」のために行われています
なので、真の意味で「参考になる」レビューの総数は限りなく少ないのです
ただの広告行為か、インプレッション稼ぎ行為の延長でしかないのです
暇なユーザは、消費出来るコンテンツを与えられるのでお得でしょう
ただ困るのは、批評を必要としている購買層です
商業化によって一番困るのは、「真面目に」コンテンツに向き合ってきた層です
そんな中で、そういうユーザの立場で考えてみましょう
残っているのは、「世論としてのレビュー」か「真の意味で忖度のないレビュー」です
「PSPmk2」とか覚えている人がいるなら、まさにそれを求めています
なのですが、もう世界にあるのは「偽装pspmk2」なんですよね
だから、もう何も信用できないわけです
そうなった時、信用できるのはどう考えても「世論レビュー」しかありません
統計的なものをなんとなく信用して、やってみる以外の逃げ道がないのです
だから、「レビュー」は意味がない
熱心なユーザから、本当に忖度がないという「信頼」を得ること。
その上で、そのユーザが「レビュアーとの嗜好差分」を考慮すること。
これらの条件を満たして初めて、本ブログのようなレビューは社会的価値を持ちます
そう考えた時、それはほとんど存在しないのです
そんなことに思考コストを払うなら、steamの世論を見て、実際にやったほうが早いのです
だから、「真面目なレビュー」は、この世界から姿を消したのでしょう
商業化によって流入したプレイヤーが、界隈の「信頼」を「換金」してしまったんですよね
もう既に「忖度無し」って枕詞に「信頼感」はありませんよね?
レビューを読み解くには、コストが高すぎるのです
その上で、コストを払ったところで無駄になる可能性が高すぎるのです
おわりに
という感じで以上です
要は「レビュー」があまりにも「商業化」してしまったことで、
「レビュー」そのものの信頼がなくなり、結果「参考に出来なくなった」ということです
amazonのレビューなんかは統計すら汚染されていますよね
最早何も信用できないので、ならもう信用すること自体が無駄なプロセスになるわけです
だから、著者の性質を鑑みて参考にするようなレビューに、価値はありません
つまるところ本ブログに意味はなく、社会的価値もありません
でもこれは悲観とかでもなんでもありません
そもそも99.99%の人間の人生に意味などありませんし、社会的価値もありません
ほぼすべての人間は人類にとって無意味なモブなのです
だから、「自己満足を極める」という意味で、自分にとっては価値があるんですよね
「誰のためにあるのか?」というと、「自分のため」にあります
インプレで金稼ぎが出来たから「社会的価値がある」というのも少し謎ですが、
社会的価値以前に社会で生きるために金が必要ですから、仕方ありません
社会的価値とは結局金稼ぎなのであり、それが資本主義なのです