価値がない時間に価値がある

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って思った読者の方は類稀なる論理的思考力があります
こんなブログを読むより世界の為にその頭脳を役立てて下さい

それ以外の”””インテリ”””な方は、「価値の無い時間」をお楽しみ下さい

 

時間の「価値」とは

時間の「価値」、ってなんでしょうか?
そう考える為に、ニートと社会人で考えてみます

社会人は、仕事に10時間ほど拘束されます
一日あたり、自由に使える時間は4時間程度でしょう
対して、ニートは単純に計算して14時間ほどの時間があります

って考えると、社会人の余暇はニートの倍以上の「価値」があります
それだけ希少であり、「かけがえのないもの」なのです
これを「時間の価値」と捉え、考えてみましょう

 

時間の「価値」とは

えっまた同じ見出し?コピペ?
違います

少し、考えてみてください
例えば、1時間ほど時間が空いたら何をしますか?
いろいろ思い浮かぶのではないかと思います

ですが、社会人の「1時間」とニートの「1時間」では、大きな差があるはずです
ニートの1時間には「制約」が無いからです

社会人の時間は希少であるが故に、「結果」を求めてしまいます
希少な資源を投資して、何の成果も得られなかったら?
その1時間で、狙った効果が必ず発現しないと「勿体ない」のです

 

短期的価値と長期的価値

例えば、その1時間で確実なストレス発散をする。
これは、その1時間で効用が閉じた「短期的な」価値です

例えば、その1時間で新しい何かを始めてみる。
それは、積みゲーでもスポーツでもなんでもいいでしょう
これは、その1時間を超え人生に影響を及ぼす「長期的な」価値です

そして、長期的な価値は「大事な時間」からは生まれにくいと考えます
というのも、「時間を無駄にしたくない」という「プレッシャー」が常にあるからです

往々にして、「無駄になりうる時間」から「長期的な価値」は生まれるはずです
というのも、「絶対に無駄にならない」ということは「結果が予測出来る」からです
結果が予測出来ない、時間を無駄にするリスクの中にこそ長期的価値があるのです

そのリスクを取れるのは、「無駄にしていい時間」があるからです
だから、「価値が無い時間」にこそ「価値がある」のです

「短期的価値を求めた結果、長期的に価値が無くなる」とも言えます
皮肉にも、この世界は「短期的視点」と「長期的視点」は両立しにくいんですよね
本能的に生きていると、きっとこの「ジレンマ」に陥るはずです

 

おわりに

という感じで今回は終わりです

なんかそれっぽく纏まった話ではありますが、これはただの言葉遊びです
「価値」を「希少性」と取るか「人生における期待値」と取るかの差でしかありません
は?じゃあ意味ねーじゃん時間返せよ!

って思う前に、少し考えてみてください
「意味」が無いとは記事としての「価値」が無いということではありませんか?
そして先程から述べているように、価値がないほど……?

 

今のでなんか雰囲気で納得した人いませんか?折角なんで壺、買いません?

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