令和における「有名税」論

有名税、って言葉ありますよね
有名人が好き勝手言われて嫌になるってアレです

最近は青汁王子が自殺未遂だかなんかで界隈が盛り上がってますね
私は名前しか知りませんが、きっと「有名」なのでしょう

それはそうと、この有名税って概念は令和になって大きく変わったと感じます
ということで、今日はそれについてお話をしていきます

 

有名税とは

有名税、なんか雰囲気で使っていませんか?
僕はそうなので、とりあえず大前提として辞書的にはこんな感じみたいです

有名税(ゆうめいぜい)とは、有名であるが故に、知名度と引き換えに生じる問題や代償を税金に例えた単語 - 広辞苑

ということで、有名であることによって不利益があるよね、って感じでしょうか?
有名だから仕方ないってことで多少は飲み込んでね、ってニュアンスもあるでしょうか

これだけで終わると面白くないので、少し分解して考えていきます
というのも、これは「平成」的な感性かなと感じるからです

 

有名「税」とは

税金に例えて言う……というのは、抗えない不利益だからでしょうか?
有名人ならもれなく被る不利益だからでしょうか?
私はこの解釈は、少し不十分だと考えます

というのも、税金には二つの側面があるからです
一つは徴収で、一つは還元です
つまるところ、税金は還元されて然るべきなのです

例えば週刊誌が、有名人をネタに記事を書く。
これは、有名人の「知名度」を取立人が「徴収」する行為です
知名度の還元、というのが有名「税」の本当のところでは無いでしょうか?

 

「有名」税とは

では、どこまでが「有名」なのでしょうか?
これは難しい質問であると同時に、簡単な質問でもあります
つまるところ、「価値がある」かどうかでしょう

有名であることを、換金する。
換金するには、その情報に「価値」がないといけません
それ自体は、至極当然な発想ですよね?

では何をもって「価値がある」のでしょうか?
それは、「アプローチする大衆」にとって「認知されている」ことです

誰もが知っている有名人なら、非常に価値は高いでしょう
逆に誰も知らない個人なら……きっと価値は低いでしょう

……と、意味深なことを述べたところで、本題の「深堀り」をしていきましょう

 

令和における有名「税」

平成において、税金の取立人は主に「メディア」でした
そもそも、情報を売り物に出来る人が殆どいませんからね
換金できないなら、有名人の情報に大きな価値は無いのです

ですが、令和においては違います
令和における税金の取立人は、「世界中の人間」です
令和において、現時点における換金メソッドの有無は関係ないからです

というのも、「知名度」が手に入ればよいのです
知名度が「還元」されれば、換金の手法は幾らでもあります
それ故に令和においては、全人類に「有名税」を取り立てる「意味」があります

 

令和における「有名」税

アプローチする大衆にとって、換金できるくらいの高い知名度があること。
これが、「有名」の一つの基準である、と先程話しました

週刊誌として発行するには、多額のお金が必要です
であれば、テレビの有名人レベルの知名度が無いと難しいでしょう
換金したところで赤字であるなら、換金の意味が無いからですね

……でも、令和のスタンダードである「個人」が発信するなら?
であれば、数千人程度に響けばそれでいい、というレベルにまで下がります
つまるところ、令和における「有名」の基準は、果てしなく低いのです

 

令和における「有名税」

皆が皆、必死になって金を稼ごうとひしめくネット界隈。
この地獄で、皆がバズのチャンスを狙っています
そんな中、「有名税」はどう映るでしょうか?

数千人程度の村に響けば良くて、誰でも徴収のチャンスがある。
これは、大きなチャンスでしょう
そんな中、大きな「モラル上」の疑問が生まれます

どこまでが「有名」で、「税」を取り立てていいのでしょう?

残念なことに、今のネットは「拝金主義」です
ですから、法的に許される範囲ならば無限に「税」を取り立てて構いません
マコなり社長が燃えた時なんかは、無数に「取立人」が発生しましたね

この名前を知っている読者は、何人いるでしょうか?
まあそれなりに有名な例ではありますが、ではたぬかな氏はどうでしょう?
徴収されて然るべき範疇なのでしょうか?

 

「有名税」の拡大解釈

ここで一つ、思い返してみてください
有名税を取り立てるにあたって、現時点の「換金システム」は不要です
それどころか、誰もが将来的には換金できる可能性を持っているとも言えます

拡大解釈するならば、「ウェブ上で話題にした」だけでそれは「徴収」です
換金の意図が無くとも、知名度を得る為にやっている。
それは無自覚で、無意識で行われる「有名税の徴収」なのです

「有名」と解釈される基準は、果てしなく低い。
「税」と解釈される基準も、果てしなく低い。
私の書いたシャブさんの記事も「有名税の徴収」に他なりません

 

「有名税」をどう考えるべきか

皆が「有名税」を徴収しようと考えている。
自分も無意識で、「有名税」を徴収しようと考えている。
であるなら、もはやこれは「心構え」で対処するしかないように思います

自分はいつでも、徴収される覚悟を持つ。
徴収されても、仕方のない事だと諦める。
そうでないなら、ネットの発信は諦めるべき。

逆に自分はいつでも、徴収しているという自覚を持つ。
徴収するなら、自らの定めたモラルの範疇に収まるかを考える。
「待ちガイル」を使うのか、真剣に考える。

これが、僕なりの答えです
答えというより、諦観でしょうね

 

おわりに

ということで、おわむぎお得意の後味の悪く無意味な記事でした

平成の有名税は、天上人が天上人から徴収する行為に近かったかと思います
令和の有名税は、一般人が一般人から徴収する行為に近づいたかと思います
それくらい、誰もが加害者であり被害者なのです

何故この記事を書こうと思ったかなのですが、レビュー記事の扱いが発端です
平成の時代は、インディー/同人ゲーを辛口評価するのは不適切といった空気がありました
趣味でやってるものを、趣味で攻撃して良いのか?という感じですね

本ブログでは、インディーゲーを辛口評価することもあります
ですが、現代におけるインディーゲーや同人ゲーは商売になりつつあります
そういった理由で、私は有名税を徴収しているという「正当化」をしていきたいと思います

ですが、明らかに数人で作ってるゲームや同人活動の範疇と考えられる場合は別とします
steamなどでの販売はせず、boothなどの個人レベルで頒布されているゲームですね
こういったゲームは、良いところを紹介しないならレビュー対象外とするよう心がけます

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