私は倍速表示はしない、という人へ

みなさんは倍速表示、しますか?
動画やアニメなどを、倍速で再生するような機能のことですね
私は多々利用しますし、なんならプラグインを入れて三倍速にしています

倍速再生については、いろいろな意見があると思います
その中でも、否定的な意見としてこのようなことを耳にしませんか?
「作品としての本来の価値を体験出来ていない」、という主張です

これは、「正論」であると同時に「理解されない正論」です
今回は、これについて少し深堀りしていきます

 

大前提としてのコンテンツ過多

本題に入る前に、コンテンツ過多の話をさせてください
コンテンツ過多により、コンテンツ一つ一つの価値は相対的に低下しました
無限にコンテンツを消費することが出来るようになったわけですね

昔は、このようなコンテンツ消費が難しいものでしたね
だから、倍速表示のような事象はレアケースだったように思います
ですが、本質的に人類は「そうしたかった」のではないかと思います

このあたりの話は、「情報の抽象度論」で少し触れました
気になる人はどうぞ読んでみて下さい
ということで、本題に入っていきましょうか

 

そもそも、何故倍速するのか?

これは単純で、時間あたりの情報量が多くなるからです
時間あたりの情報密度が多いほど、体験として濃くなります
いや、濃くなるという「価値観」を「そのコンテンツ」に持っているのです

皆さんは「限界費用」や「総費用関数」という言葉はご存知でしょうか?
ざっくり言うと、「生産を一単位増やすのにかかるコスト」のことです
ここで言うなら、「体験価値を一単位増やすのにかかる時間」となります

この「限界費用」は、これまたざっくり言うと「中間部分」が最も効率的です
1話見るだけではよく分かりませんし、何度も見返す場合と初回視聴で衝撃度は段違いです
要するに、「ざっくり全話見る」くらいの時間投資が最も時間効率が良いのです

これは、動画媒体に関わらず大概のコンテンツに言えることだと思います
だから、「一般的には」倍速で見るのが最高効率ということになるんですね

 

総費用曲線が「歪」な人たち

では、倍速をしない人はどのような価値観なのでしょうか?
それは、一般的な人とは違った「限界費用」の性質を持ちます
時間を投資するほど、指数関数的に体験価値が上がるのです

映像における、「間」や「空気感」。
作品における、「考察」や「推論」。
「実際は存在しない部分」に、「価値」を見出せる訳ですね

要するに、「与えられたものを反芻してそれ以上を生み出せる」のです
私の主張する「こだわりを探せ」というところに近いものがあります

では、これが出来る人が「エリート」であり「偉い」のでしょうか?

 

人類皆倍速表示である

出、出~wwwww極論言奴~~~wwwwwww
とまあさておき、実際のところ全人類倍速表示マンなんですよね
私も貴方も、倍速表示マンに他なりません

というのも、皆さんが触れているコンテンツっていくつありますか?
ゲームが好きで、音楽が好きで、スポーツが好きで、映画が好き。
それぞれには大量のジャンルがあり、合計で数十種類は超えるでしょう

その中で、時間をかけて咀嚼出来るジャンルはいくつありますか?
恐らく、一つか二つでしょう
中には、一つもないって人もいるのではないでしょうか?

映画は倍速しないけど、音楽はイントロをスキップする。
音楽はヘビロテするけど、ゲームは攻略情報を見て効率プレイする。
こういう行為も、いわば「倍速表示」に他ならない訳です

そもそも人間は、「本当に好き」でなければ「倍速」を求めるのでしょう

 

人類皆倍速表示である、ということ

人類皆倍速表示は、コンテンツ自体の発展には良くないことだと感じます
つまるところ、該当するジャンルの「多数派」が変化してしまうのです
その結果として、コンテンツ自体の評価軸が歪になってしまうのです

今や人類は皆、様々なコンテンツを超速で消費しています
結果的に、ジャンル単位で見た「反芻する人たち」の割合はかなり少数です
「ちゃんとジャンルを見ている人」は、今や市民権を失いつつあります

それに拍車をかけている、というかトドメを刺したのが「数」の評価でしょう
その作品が秘めている「ポテンシャル」ではなく、インスタントな要素が評価されます
そして、そういったインスタントなものが0か1かの「評価」として世間に定着します

「倍速で見ている奴が映画評論をするな」と言いたくなりませんか?
「お前はまだ評価出来るくらいの領域に居ないぞ」って思いませんか?
「素人は黙っとれ」って思いませんか?

今や、そういった考え方は少数派の「老害」と言えます
コンテンツ消費スピードに比例して、ついに倍速が多数派になったのです
そして、この流れは仕組み上、加速の一途を辿るはずです

 

おわりに

真剣にコンテンツに触れている人ほど、倍速には嫌悪感があるでしょう
ですが、そういう貴方も「倍速」を「他のコンテンツ」に対して行っています
それを認め、そういう世界になったと受け入れるべきです

ちゃんと物事を評価するには、隅々まで堪能する必要がある。
それらが出来ていない、「素人」は評価する権利がない。
そのような考え方をする人は少数派であり、もはや「老害」です

参入障壁が下がり、コミュニティの壁が無くなった現代。
そこに「素人」を弾く参入障壁フィルターコミュニティ評価を評価する仕組みはありません
「どこまでが素人か」を決めるのは、不毛な議論にしかなりません

であれば、「そういうもの」と理解して「自己満足」にシフトしましょう
令和の時代に必要なのは、「諦め」です
自分の「感性」を、大多数の「倍速表示マン」と合わせるのはやめましょう

僕のゲームレビューは、「素人レベル」のものも普通にあります
「素人」としての妥協点と、「玄人」としての本気。
これらを上手く使い分けて、歪な世間評価に惑わされないようにすべきです

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